明治中期に創業した、石川県珠洲市の温泉銭湯「宝湯」。かつて芝居小屋や遊郭なども営み、その建物には珠洲の風俗や文化、経営者一家の歴史が色濃く刻まれていた。だが、能登半島地震で建物は倒壊。ここにほれ込み、一家と交流を続けてきた写真家が、地震後の銭湯を再び訪ねた。
「大丈夫ですか?」 地震から11分、届いたメッセージ
「また地震?大丈夫ですか?」
元日の午後4時21分。写真家の石川直樹さん(46)は、東京からメッセージを送った。送信先は宝湯4代目の橋元宗太郎さん(40)。2015年に出会い、付き合いが続いていた。
その頃、橋元さんは銭湯裏の自宅を飛び出し、妻と子どもの安否を確かめるため、海沿いの道を自転車で走り、妻の実家へ向かっていた。しばらくは携帯の電波もなく、家族の無事と避難所暮らしの状況を返信できたのは、1週間以上経ってからだった。
震度6強の揺れで、銭湯が入る宝湯の本館は倒壊。簡易宿泊所と酒店が入る別館はかろうじて無事だった。
「当時、自分は被災者でかわいそうって思ってた。でも、別館は無事なんですよねって、石川さんに言われて。同情を求めてもだめで、別館で頑張ろうと気付かされた」
記事の後半では、石川さんを魅了する宝湯の歴史、今に通じる二人の交流の様子、橋元さんが改めて感じた写真の価値について、読むことができます。
市職員と訪れた写真家
東京で働き、26歳で珠洲に…
※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル